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イベントレポート:映画をつくる:キャンパスから劇場へ
概説
 日本の大学で映画学部、あるいは映像研究を掲げる大学院は年々増えてきている。東京藝術大学でも、プロの映画製作人になるための実務だけでなく、劇場公開を意識した映画作りに積極的に取り組んできた。作品性や商業性をひとつの作品に内包することは可能なのか、東京藝術大学OBである監督とプロデューサーが自身の体験談を学生目線で語った。
内容

登壇者

真利子哲也/Tetsuya Mariko

映画監督、『イエローキッド』

五十嵐真志/Masashi Igarashi

株式会社電通、『ラッシュライフ』プロデューサー

1.東京藝術大学大学院で学ぼうと思ったきっかけ

真利子哲也:

 東京藝術大学大学院映像研究科に入るまでは自主映画を制作していて、海外の映画祭に短編を出したりしていたが、作る環境をもっと広げたいと思い、25歳の時に入学した。卒業時に作った『イエローキッド』という映画が劇場公開され、今に至っている。最初は映画の作り方など分からない人たちが集まって作ろうとしていたので、何がいちばん良い形であるかを模索しながら作っていくというのが、東京藝術大学のやり方だと思った。

五十嵐真志:

 2007年に東京藝術大学大学院映像研究科に入学したが、当時の年齢は33歳だった。それまでは広告代理店の電通で特定企業のCMを作る仕事をメインに行っていたが、映像についてもっと追求してみたくなり、入学して2年間、映画製作を勉強した。今は会社に復帰して、映像全般を企画する部署にいる。

 東京藝術大学で監督領域ではなく製作領域を選んだのは、広告代理店時代に担当していた仕事に関係がある。会社では、優秀なクリエーターの才能を企業のCMに結び付ける役割をしていたので、そこに喜びを見いだしていた。また、自分で作るには才能の限界を感じるところもあった。だから、自分よりもクリエーティビティにあふれた人たちの仕事がしやすいように、環境を作る方法を学ぶことが自分には向いていると思った。

2.学校での映画制作を通して感じたこと

真利子哲也:

 監督領域の教授は黒沢清監督と北野武監督だった。入学したての頃、ふたりを監督として立て、生徒たちは助監督に付いて短編映画を撮るという講義があった。その時、北野監督には二期生の2年生が付き、私たち1年生は黒沢監督の助監督として映画制作のやり取りを学んだ。それは授業というより、本物の制作現場のようだった。監督領域の場合は、監督になるための実践的なことを、初めからやらせてもらえることが魅力だと思った。

 卒業製作などを行う時、自分ひとりで作っていた時と比べ、東京藝術大学という肩書きがあることから、撮影に関するさまざまなことについて信頼されるように感じた。しかし、俳優や外部の人間に出演交渉などを行う際、こちらが学生ということも影響していたのか、冷ややかな反応が気になったこともあった。

五十嵐真志:

 黒沢監督が脚本領域の三期生と一緒に脚本を開発した時の私の役割は、でき上がった脚本のロケ地を探すことと、キャスティングすることだった。何人かのスタッフと一緒に撮影場所の写真を撮っては、黒沢監督の所へ持っていくということがしばらく続いた。また、監督を車に乗せてロケハンも行った。平行して、個人のつてだったり、お金はいらないけれども学生映画に興味があるという俳優の事務所に連絡しては脚本を送り、出演者を募る作業をしていた。学校のカリキュラムとはいえ、黒沢監督は自分が演出するからには妥協しなかったため、撮影場所のOKがなかなか出ず、入学して1か月で現場の洗礼を受けた。

 そのような経験をしてから、夏に初めて学生だけで16ミリを撮るというカリキュラムが与えられた。5チームに分かれて30分の短編を制作するもので、学校側から少しだけ資金が出た。それをもとにキャスティングからポストプロダクションまでのすべてを、ひと夏かけて行った。東京藝術大学の場合、機材が学校にあるのでレンタル費がかからない。スタジオもあって無料で使えるため、プロの世界ではお金がかかるものが学校では安くできる環境があった。

 その一方で、やりにくさも少なからず感じていた。社会人時代はそのようなことがなかったのに、学生という立場では外部から軽視されることもあったし、お金がないことから話をなかなか聞いてもらえないという経験もした。しかし、やり取りを行ううちに分かったことは、お金のあるなしにかかわらず、協力してくれる事務所が案外あるということだ。なかには、2年間お世話になった事務所もある。社会人でお金があることを前提にしていたら、そういった人たちとは出会えなかっただろう。

3.製作後の映画への関わり方

五十嵐真志:

 夏のカリキュラムを終えた後に行ったのが、オムニバス製作のカリキュラムだった。これは、大学の中だけで製作を完結させるのではなく、外部の企業と協力して商業映画を作ることを目指すものである。資金の調達からキャスティングまで、すべてを学校の枠を超えて、映画を完成させようというものだった。

 エンタテインメント寄りのものを作るというテーマで臨んだので、伊坂幸太郎氏による小説『ラッシュライフ』を選んだ。芸術とエンタテインメントの融合を目指した作品を模索していたため、それまでの東京藝術大学のプロデューサーたちとは違うものがやりたかった。

 しかし、学生映画を配給してくれるような会社はなかなか見つからず、悩んだ末に東京藝術大学で配給しようということになった。劇場との調整や宣材物も、すべて学生主導だった。いちばん厳しかったのは宣伝活動で、宣伝費が1円もない中でフリーのパブリシストに手伝ってもらい、お金をかけずに新聞やテレビなどにパブリシティを行った。そして、最終的にはいくつかの媒体に取り上げられた。

 東京藝術大学は国立大学であるので、仮に『ラッシュライフ』で儲かっても、大学には1円も入れないという決まりがあった。そのため、利益が出た分は、出資者にすべて返すという条件で製作した。出資者への考え方は、いわゆる製作委員会方式であり、何社か相乗りで映画を作る方法だった。資金を多く出してくれる会社がひとつでもあれば、そこと手を組んで作ろうと思ったが、そのようなところはやはりなかった。少しずつ資金を出してくれる会社を探し、テレビの放映に関しては衛星劇場が放映権と引き換えに出資し、ビデオ化権に関してはアミューズソフトエンタテインメントが出資した。私たちは、それぞれに何らかの権利を渡して、資金を調達した。

 在学中は先生たちから、「いろいろな人と関わることを経験しろ」といわれた。映画製作の近くにいたいという、その思いだけで東京藝術大学に来ている人は、やはりやり方が分からない。そういう人たちを束ねて共同製作することがどういうことであるかを、身をもって学べたと思う。

真利子哲也:

 『イエローキッド』は卒業した年の6月に「卒業製作展」で公開し、たくさんの観客に見てもらえた。評判も良かったため、シネマ・シンジケート(独立系映画館のネットワーク)の新人監督発掘プロジェクト「New Director/New Cinema 2010」に選ばれ、一般公開された。

 自主制作映画と商業映画の違いについてよく聞かれるが、「商業映画とはこういうものだ」という、既成概念だけは持たないようにしようと思っている。商業映画はいろいろな人が関わるので、その人たちを意識して規制などを気にするものだが、そのような自己規制はよくない。卒業してプロになったといっても、もともと自主映画出身で作りたいから作っているだけであり、作るものに関しては徹底的に追い込んでやっていくし、これからも本質は変わらないだろう。

基本情報
事業名
UNIJAPAN Entertainment Forum
会場
政策研究大学院大学 研究会室4F(東京都港区六本木)
開催日
2010/10/26(火) 14:00 - 15:30
主催
経済産業省/公益財団法人ユニジャパン