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イベントレポート:東アジア コンテンツプレゼンテーション
概説
 公益財団法人ユニジャパンは2010年10月25日~27日の3日間にわたり、2010年のエンタテインメントビジネスをリードしてきたキーマンを国内および世界各国から招き、「ユニジャパンエンタテインメントフォーラム2010」を開催した。
 映画、アニメ、テレビ、共同製作、人材育成、地域振興、テクノロジーといったテーマで合計18のプログラムが企画され、さまざまな角度から"エンタテインメント"を考える場として、第23回東京国際映画祭の期間中に実施された。
 25日には東京・六本木ヒルズ森タワーにて、オープニング記念の特別ビジネスセッションとして「東アジア コンテンツプレゼンテーション」が行われた。
 香港、フィリピン、タイ、韓国、台湾の映画業界における第一人者たちが、映画製作の現状や今後の展望などについて、自国映画の歴史や発展状況などを交えながら語った。
内容

登壇者

ロジャー・ガルシア/Roger Garcia

香港国際映画祭 エグゼクティブディレクター(香港)

ネスター・ジャーディン/Nester Jardin

Center of International Trade Expositions and Missions フェスティバルディレクター(フィリピン)

プリスナ・ポンタシリクル/Prisana Pongtadsirikul

Office of Contemporary Art and Culture, Ministry of Culture 事務局長(タイ)

イ・テヒョン/Dae-Hyun Lee

Korean Film Council コミッショナー(韓国)

リー・リエ/Lee Lieh

プロデューサー、『モンガに散る』など(台湾)

1.香港映画の中国市場向けの努力

ロジャー・ガルシア:

 香港は映画の中心地であり、日本と共にアジアの映画業界をリードする存在として、世界中から期待されている。

 1960~1970年代、香港は常にアジア全体を網羅した映画製作を行っていた。1980年代はスタジオシステムのショウ・ブラザーズなどが活躍し、香港映画産業のピークを迎えた。しかし1990年代になると下降傾向になるが、それでも大きなフィルムワークショップが行われたり、ツイ・ハーク監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』といった有名な作品が誕生したりしていた。

 そして、経済や中国市場の発展、SARSなどといった状況に影響を受けて、香港の映画産業は変動していった。21世紀に入ると、香港のスターであるチャウ・シンチー監督の『少林サッカー』がブレイクして映画産業を盛り上げたが、香港映画の本格的な復活には至らなかった。その後、2002年に『インファナル・アフェア』が大ヒットし、640万ドルの興行成績を挙げたが、業界全体に大きな影響を及ぼすほどではなかった。

 しかし一方では、2002年にチャン・イーモウ監督の『HERO』が公開され、330万~350万ドルの興行成績を香港公開時において実現したことにより、中国との合作が増えていった。そして、『グリーン・デスティニー』などの作品に香港の人材を活用して、世界に対するマーケティング活動が進められた。香港と中国の合作により、両方の業界にプラスになったわけである。

 中国との合作による香港の映画業界への影響は、大きく分けてふたつあった。ひとつは予測されていたものであり、もうひとつは予想外のものであった。まず、スタジオ主導型の多くのプロジェクトは、中国の人材や資金調達、あるいは配給を期待しているということだ。香港の映画作家たちは中国ロケを進めるだけでなく、いろいろな製作ベースを中国で確立し、中国市場向けの努力を進めている。

 もうひとつ予想外の影響とは、香港の映画業界はここ数年、主に中国へ向けて合作を進めてきたが、ここへきて香港をベースとした製作が増えているということだ。これらの作品はベルリン国際映画祭で成功したものもある。また、香港において300万ドルの興行成績を挙げるという結果も出している。このような状況を受け、香港ベースのローカルな作品の復活が期待されている。

 香港国際映画祭では、香港/アジア・フィルム・ファイナンシング・フォーラムが行われており、バイヤーやプロデューサー、映画会社など1,000人程が参加している。パートナーとして、東京プロジェクトギャザリングやパリプロジェクトも参加。香港/アジア・フィルム・ファイナンシング・フォーラムの構成イベントのひとつである、香港フィルマートも3月に行われている。

 海外との合作やパートナーシップに関して、香港はうまく確立しているので、海外の製作会社が中国へ進出する際には戦略的なパートナーとして寄与できると思う。香港は中国政府の方針を理解しているので、中国で撮影する時には実現の可能性が広がる。

2.フィリピン映画の歴史と現状

ネスター・ジャーディン:

 フィリピンの映画産業の始まりは1919年で、アメリカの支配のもと、最初の長編『農村の乙女』が製作された。1919~1930年代は多くのスタジオが起ち上がり、いわゆるインディペンデント系の制作者がフィリピンのルーツを探るという題材を扱っていたが、その多くはハリウッドを手本にしたものだった。

 フィリピン映画の成熟期は、1970~1980年代だと思う。新人監督が多く輩出され、1980年には280本の映画が製作された。国内全土で1,500のスクリーンがあり、活況を呈していた。現在の映画産業は、一般的には民間企業の投資と、個人による投資や融資などで製作され、場合によっては海外からの助成金を得るというような形で資金を調達している。大手のスタジオがすべての設備とキャリアを持っているので、インディペンデント系はそれらの力を借りている。

 配給については、大手のスタジオは独自で映画のマーケティングと配給を行っている。一方でインディペンデント系は、大手のスタジオ傘下の配給会社に頼るか、あるいはフィリピンで映画以外のビジネスを行っている会社に頼るしか方法はない。

 映画製作に関わっている政府機関としては、Film Development Council of the Philippines(FDCP:フィリピン映画開発審議会)という製作決定を担っている組織がある。FDCPはフィルムファンドを持ち、助成金を割り当てているほか、大手やインディペンデント系の製作会社にインセンティブを与えるシネマ評価理事会があり、質の高い映画製作を促している。Philippine Film Export Services Office(PFESO:フィリピン映画輸出サービス局)は、FDCPのもとに置かれており、フィリピン映画を海外へ紹介することや、海外へのロケ地誘致も行い、助成金などのサポートもしている。

 フィリピン映画は、1997年から比べるとスタジオ製作の作品が減っているが、それに反比例して、2004~2009年にかけてインディペンデント系アートフィルムとデジタルフィルム作品が増えている。しかし、総数を見ると1970~1980年代より縮小している。私的な見解ではあるが、その背景にはいくつかの要因が考えられる。まず、ハリウッドの超大作との競争にさらされているということ。そして、フィリピンで上映されている外国作品の90%はアメリカ映画で、残りの10%は日本、中国、香港、タイ、あるいはヨーロッパのものであり、それらの海外映画に観客を取られているということ。更に障害となっているのは、商業フィルムに対する重課税や海賊版の問題だろう。フィリピンでは、インターネットからの違法ダウンロードはそれほど広まってはいないものの、主にDVDやビデオなどの海賊版が出回っている。知的財産に関する法律はあっても、取り締まりに苦労している。その上、映画の配信チャンネルが増えており、無料で提供されるビデオ・オン・デマンドや携帯電話のアプリケーションなども要因のひとつと考えられる。

 国際的なつながりや協力を考えるならば、これからはフィリピンのインディペンデント映画の台頭を持続させなければならない。アジアにおいて、ここ5年間でインディペンデント系が飛躍的に普及している。また、映画産業の技術発展によって、有能な若い人材がインディペンデント系のデジタル作品を多く作っており、コンペや映画祭で受賞する作品も増えている。インディペンデント系の映画作家およびプロデューサーたちが共同製作を進めることができるように、もっと支援しなければならない。

 大手は、インディペンデント映画に対してイノベーション、あるいはコンテンツの開発など、いろいろと学ぶものがある。双方にとって多くのメリットが生まれるため、これからは相互作用を促進しなければならないだろう。 フィリピンでは共同製作はあまり一般的ではないが、インディペンデント系においては行われており、ヨーロッパと合作した経験もある。アメリカのジョン・セイルズ監督は、共同製作のポストプロダクションをフィリピンで行っている。大手や商業作品については今のところそのような前例はないが、これからは推進していきたい。共同製作に関心があれば、フィリピン国内の主要なスタジオと連携を図ることができる。フィリピン映画輸出サービス局に連絡をすれば、共同製作の足がかりが得られるだろう。

3.ここ数年におけるタイ映画の製作状況

プリスナ・ポンタシリクル:

 タイでの過去10年間の映画リリース数は、市場シェアも含めてかなり増えている。2009年は232本が公開され、そのうち51本がタイ製作、181本が海外製作の作品である。国内製作と海外製作のギャップが、5年前からだんだん埋まってきている。 タイ映画の市場シェアは、2004年の20%から2009年には40%に上がっている。しかし、2008年の国内興行成績は4億6,000万から3億3,000万バーツに下がっており、政治不穏な情勢などが影響したと考えられる。

 2009年のスクリーン数は551、デジタルスクリーンは17だった。現在、デジタルスクリーン数は増加傾向にある。また、同年における国内の映画製作費の平均は2,618万バーツ。一方、タイで製作された海外作品の製作費は6億559万バーツで、『アレキサンダー』や『007』などの作品があった。

 昨今、タイの政治不穏が影響し、海外の映画製作会社はタイでの撮影を敬遠する傾向にある。タイには税的な優遇策が存在しないため、なかなか海外の映画製作会社を惹きつけることが難しく、近隣諸国の方が製作状況は良いため、海外へ流出しているという状況だ。

 とはいえ、タイは美しい砂浜やジャングル、素晴らしい山脈、バンコクの近代的な都市と田舎の風景など、実にさまざまなロケーションがある。このため、アメリカは製作の拠点として頻繁にタイを選んでいるし、海外の映画コミュニティや映画会社にもロケ地として人気がある。また、さまざまな製作サービスを海外に提供しているので、多くの映画会社がタイにやって来る。タイの製作サポートクルーは高いスキルを持ち、親しみやすく、知識も豊富である。

 現在のタイにおける共同製作の状況については、特に具体的な政策は政府からは出ていない。ただし、法律や規制などで合作を支援しようとしている。

4.問題点が多い現状の韓国映画

イ・テヒョン:

 ここ10年の韓国映画は、2006年度までは飛躍的な発展を遂げ、アメリカにおける韓国映画のシェアが60%を超えるということが起こった。このように高いシェアを誇っていた韓国映画ではあるが、2006年を頂点として徐々に低迷し、2010年の上半期にようやく回復基調へ入った。

 低迷の理由には収益率の悪化という問題があった。韓国映画が国内市場はもちろん、海外においても収益が減少したことにより、赤字映画が増えてきたのである。それは、投資が減ってくることにつながる。また、観客数も2006年まではずっと上向きだったが、その後は徐々に下がっていき、現在は低迷している状況である。

 日本やアメリカではDVDなどの市場や著作権の保護がきちんとできているが、韓国ではほとんど崩壊状態にある。インターネットからの違法なダウンロードが現在も頻繁に行われており、付加価値のある商品市場の減少につながっている。

 このような状況ではおのずと投資も減っていくため、高額な製作費を必要とする大作映画が減り、低予算の映画が多く作られるようになっていった。2009年の実績では、118本のうち64本が約10億ウォンという低予算映画であった。15億ウォン未満の低予算映画、そして大企業による巨額を投資した映画、この二極化が現在の韓国映画の状況である。40億~60億ウォン規模の中間サイズの映画は、2007年には全体の40%を占めていたが、現在では10%しかない。 大企業が投資するような大作は、配給によって市場を掌握できる。規模が小さな映画は低予算で作ることで、投資に対するリスクを減らせる。中間サイズの映画は、マーケティングや配給の方法が大作とほぼ同じであるため、興行負担やリスクが大きいという理由で減ってしまった。

 韓国が海外と合作する理由は、投資と市場の拡大が目的である。例えば、日本、中国、香港、アメリカといった国と共同製作を行っている。2009年は、中国との合作が多くあった。中国と韓国には歴史的な共通点があるため、古典の戦乱ものは成功した作品であった。ちなみに、日本との共同製作による歴史劇は、これまで1本も作られていない。その理由は、歴史観の違いによるものだろう。

 韓国だけでなく、日本、中国、ハリウッドにとって、市場拡大において必要なものはコンテンツである。つまり、映画のクオリティが良いものでなければならない。韓国映画は現在、東南アジアにおいて人気がある。東南アジアではクリエーティビティが重要である上に、アジアの情緒に合ったもの、価値観や道徳性などを反映したものを作る必要がある。

 今後、クオリティの高い韓国映画を作るために、韓国政府も多様な支援をしている。コンテンツ開発に対する積極的な支援や、共同製作を支援するような体制が取られていくだろう。

5.大きな変化を迎えた台湾映画

リー・リエ:

 この2~3年の間、台湾の映画界に大きな変化があった。20年間下火だった台湾映画がようやく変わってきたのである。これまでも一部のアートフィルムは国際的に高い評価を得ていたが、台湾本国における興行成績は必ずしも良くなかった。つまり、およそ20年間、多くの台湾市民は本国の映画を見ていなかったともいえる。

 1990年の台湾映画のシェアは映画全体の0.2%しかなく、100本の作品が上映されるとしたら台湾映画のシェアは1本以下ということだった。ハリウッド映画のシェアは、ほぼ97%という極めて高い水準を占めていたことから、台湾の人々は専らアメリカ映画を見ていたことになる。

 ところが最近は、台湾映画のシェアが8%に上昇している。台湾の観客は徐々にではあるが、台湾映画を認めたことを表している数字といえるだろう。また、この市場は2億ドルという大きなものである。

 このような変化をもたらした大きな要因のひとつに、政府の努力が挙げられる。台湾政府はこの10年間、映画振興のために資金調達も含めて、さまざまな努力を行った。ドキュメンタリーや短編映画、あらゆるジャンルや形式を問わず、映画製作には政府の補助金が申請できるようになっている。更に、補助金は返さなくてもよいというメリットもある。映画が上映されて本格的に興行へと移行すれば、CM資金や宣伝費のサポートもしてくれる。また、ポストプロダクションの補助金制度もある。これらのサポートがあるため、制作者たちは高いテンションを保つことができる。このような努力を経て、台湾映画はようやく成果が出てきたのである。

 こうしたバックグラウンドのもと、2009年、私は『モンガに散る』で7,000万台湾ドルという大きな製作費を得ることができた。この映画は旧正月に公開されたが、いきなり26億台湾ドルの興行成績を挙げた。この莫大な数字は、多くの人に元気と勇気を与えただろう。新世代監督の映画は若い世代によりマッチし、業界は若い世代に大きな期待を抱いている。今まで蓄積されたエネルギーが、ここに来て一気に爆発した。彼らはクリエーティブな精神と情熱を持っているため、今後、国際市場においても輝かしい作品を残すことができるだろう。

 『モンガに散る』の舞台になったある場所に、4か月で約300万人が観光に訪れるという大きな経済効果も生み出した。映画による影響は興行収入だけではなく、映画の舞台となる街にも活力を吹き込むという可能性に、政府は気付いた。もし、台湾へロケに来る場合は、台北市政府の映画委員会を訪ねて欲しい。委員会は、ロケ地とパートナー探しや、滞在中のサポートなどもしている。例えば、ロケではホテルに長期間泊まることになるが、ホテルの宿泊代についても交渉してくれる。また、撮影クルーや製作会社に対しても、補助金をある程度出してくれる。

 今後、中国とはもちろん協力していかなければならないが、ほかのアジアの国々とも協力して映画を作っていくべきだと考えている。台湾と日本、台湾と韓国などの共同製作を期待している。

基本情報
事業名
UNIJAPAN Entertainment Forum
会場
六本木ヒルズ森タワー アカデミーヒルズ49階 オーディトリアム(東京都港区六本木)
開催日
2010/10/25(月) 10:30 - 15:40
主催
経済産業省/公益財団法人ユニジャパン